頭が痛い、と斑は思いきり顔をしかめた。
なぜここにいるのか、この場所――テイワット大陸と呼ばれる場所にくる以前、その直前は何をしていたのか、それを思い出そうとするたびにこれだ。今回もだめだろう。
頭が割れそうなほどの痛み。がんがんと脳髄を揺さぶられるような激痛に、思わず苦悶の声が漏れ出た。だめだ、また今度、と思考をそらせば、その痛みは面白いほど簡単に収まった。
気味が悪い。
未だ痛んだ感覚が残る頭を抱えて、ふらふらと斑はモンド城の正門をくぐろうと歩を進めた。時刻は午前零時。もうすっかり空は暗く、月と一緒に星が数えきれないほどに瞬いていた、
ここに来る前は何をしていたのか、何を目指していたのか。大事なものであるはずだというのに、思い出そうとすれば生理的機能がそれを阻む。もどかしさに息が詰まる、と石橋に右足を踏み入れた。
不意に、人影に気づいた。
「おっ……と。どうした、おっかない顔だな」
「――ああ、ガイアさんかあ。ははは、ちょっと夢見が悪くってなあ。外の空気を吸いに来ただけだぞお。気分転換というやつだ」
なるほど、と嫌に抑揚のない声が返る。そういえば、この男と自分はいっそ不自然なほどに声が似ているな、とふと思った。
夢見か、とガイアは少しだけ考えるように顎に手をやり、それから名案だと言わんばかりのいい笑顔で提案してきた。
「せっかくだ、エンジェルズシェアにでも行かないか」
「どこが『せっかくだ』になるのかさっぱりだけど?」
「俺はこう見えて酒好きなんだ。後はそうだな……お前さんには、色々明かしておいた方が都合がよさそうだと思ってな」
どうだ、とガイアは怪しげな笑みを浮かべる。斑はどうしようかなあ、と時間を作るようにわざとらしく発声して、まあいっか、と誘いに乗ることにした。
頭痛はすでにかなり和らいでおり、ガイアの少し後ろを歩く頃には酷い痛みのことなどとうに忘れ去ってしまっていた。
実のところ、ガイアは思った以上に気さくなタイプの人間だった。初対面では胡散臭さを強く感じたが、それは単純に斑の性質所以だろう。
逆を言えば、斑とある種似た人種であるともいえる。その理念は大きく異なるだろうが、取る手段がどうしても似る。人懐っこい振りをして、するりと相手の間合いに入り、油断を誘う。そうして得たものをどう使うかは自分と当人次第、というわけだ。
「よっ、ディルックの旦那。二人分よろしく」
「……注文は」
「俺は『午後の死』で。お前はどうするんだ?」
「昨日蒲公英酒は飲んだからなあ……モンドで飲んでおけってものがあったらそれでお願いしたい!」
「なら二人とも同じものでいいな」
赤髪の青年が呆れたようにグラスを二つカウンターに並べた。カウンターに制服を着て立つ彼は非常に几帳面そうな印象を受ける。隣に座っているガイアの方を見れば、つまらないやつだろ、と酷く愉快そうに口角を上げていった。
まだ何とも言えないからなあ、とごまかすように返して、つんとアルコールの匂いがする飲み物を口に含んだ。喉を通過する熱に眉根を寄せる。思っていたよりアルコール度数が高い酒らしい。
「ほおー、結構いけるクチだな。どうだ?今度、キャッツテールにも行ってみないか?」
キャッツテール、というとまたモンド城内の別の場所にあるバーだったはずだ。薄々察してはいたものの、この国は至る所に酒の匂いがする。この狭い城の中でいくつも酒場やらバーやらがある時点でお察しだ。
「別に酒に強いってわけじゃないんだけどなあ。でも、誘ってもらえるなら遠慮なくついていきます!で、キャッツテールってどういうとこ?」
「ディオナ……あそこのバーテンダーの作るカクテルが最高に美味いんだ。酒が飲めるっていうなら、一回は飲んでおくべきだと思うぜ」
そうかあ、と適当に返事を返す。適切な距離を保っての会話は精神衛生上非常によろしい。というか、と斑はガイアから視線を外してカウンターに立つ青年の方に目を向けた。
「追加で注文ですか」
「ああ、そういうわけじゃ……あっ、でもアップルサイダーを一つお願いします!」
落ち着いた声音にはわずかなとげが含まれている。流石に自分に向けられたものではないだろう、彼の視線はずっとガイアの方に刺さっていた。知人なのだろうか、何か確執でもあるのだろうか、などと邪推をして、その考えを頭の隅に追いやった。
現状、斑がガイアの飲みに付き合っているのは西風騎士団の動向を知るためだ。西風騎士団騎兵隊長ガイア・アルベリヒの言う「色々」とは、騎士団の動向に他ならないだろう。
実際、斑が怪しい人物であることに変わりはない。ただの旅人というわけでもないし、モンドの人間というわけでもない。挙句、名前や顔立ちは恐らくそう見かけることのない稲妻風のもの。
警戒しない方がおかしい、というのがここ数日モンドで過ごした斑の所感だった。
「さて、いい具合に酒も飲めたことだし、本題と行こうか」
「……いつ話すのかと思った。無駄話が多いのはどうかと思うが?」
「相手の警戒心をほぐすのも大切だろう?なあ、斑」
「ああ、道理で静かなわけだ。俺は楽しかったので全然気にしてませんよお!」
「だとよ、旦那」
ディルックはついに大きくため息をついて、空になったグラスを下げていく。
「僕は席を外そう。手短に済ませてくれ」
「はいはい」
明らかに態度の硬いディルックと、一見特段変わりのないような態度のガイア。それを傍聴して、やっぱり何かあるんだろうなあ、と残りの酒を飲み干して思う。
まあ、だからと言って何かを言うわけでもするわけでもないのだが。
以前ならともかく、ここでよくわからない人間関係に首を突っ込むメリットが皆無だ。この身分が「お客様」であるのであればなおのこと――
そこまで考えて、はた、と思考を止めた。
以前。「以前」とは、いつのことだっただろうか。
ずきずきと痛み始めた頭を押さえて、考えるな、と言い聞かせるように思考を止める。今考えるべきではない。今考えるべきなのはガイアから得られる情報のことであって、斑の過去の話ではない。
「さて、旦那も空気を読んでくれたみたいだし話の続きを……って、どうした?顔、真っ青だぜ」
がんがんと頭が割れるように痛い。自分とよく似た声が頭痛を増強させているようにすら思えた。
(考えるな、考えるな、今は考えるな……!)
微かに荒れ始めた息を何とか整えて、大丈夫大丈夫、と苦し紛れに笑って見せる。困惑した様子のガイアに、それはそうだろうな、と内心で苦笑いを浮かべた。さっきまで元気に酒を煽っていた人間が突然真っ青な顔になれば、誰だって動揺するだろう。斑だったらまず急性アルコール中毒か持病を疑う。
「ちょっと頭痛がしただけだぞお。臍下丹田に力を込めておけば大丈夫!」
「いやいや、ちっとも大丈夫って感じの様子じゃなかっただろ……ま、それだけ元気に返事が返せるならそうなんだろうが」
「あはは、最近ちょっと体調を崩し気味でなあ?多分、疲れがたまっているだけだとは思うんだけど」
ああ、と納得した様子のガイアに首をかしげる。これだけで果たして納得するだろうかと疑問に感じてしまった。
しかし、冷静に考えてみればガイアは晴和との稽古を目撃していたはずだ。それも、初陣でヒルチャール三体と実践という中々に荒っぽいやり方をされた時を、ばっちりと。
実際は常にそんな感じではない、と斑は感じているものの、午前も午後も模擬戦闘、良さげな怪物を見つければ実践に放り込まれているのだからあながち間違っていないのかもしれない。
「それじゃあ、旦那のこともあるし手短に行こう。騎士団がお前さんを警戒しているってのは、もう気付いているよな?」
「それは流石になあ。突然現れた異邦人、それも外国じゃあほとんどいない稲妻風の名前を名乗っていると来た。挙句、体調不良気味で聖堂にお世話になろうとしてすぐ帰り、その足でモンドの冒険者協会で冒険者登録を済ませている……まあ、普通に見れば不審者だよなあ、これ」
「そうか?実際は結構お前さんみたいなのはいるんだぜ。確かに稲妻人は珍しいがな」
最も総数が多いわけではないらしい。たいていの場合、そういう人間は真っ先に聖堂か騎士団を頼るから動向も把握しやすい。晴和の案内があったとはいえ、確かに斑も真っ先に聖堂に向かった。
ついでに言えば、モンドの隣国である璃月とは地続きになっている。たまに、旅路を甘く見た旅人や冒険者がひいひい言いながらモンド城にやってくることもあるのだという。
どこの世界にもそういう人間っているんだなあ、とどこか感慨深く思いつつ、それで、と続きを促した。ガイアはちゃっかり頼んでいたらしい新しい酒に口をつけて、お前さんが推測した以外にももう一つ理由はある、と続けた。
「ここ最近、地脈異常が頻発していたんだよ。今はすっかり収まっちまっているが、一週間くらい前は酷かった……花芽は大量に出るし、魔物は湧いてくるし、でな」
「魔物……ああ、俺がモンド城に向かうときにも街道付近にいたなあ。ああいう場所に出るのは珍しいとは思っていたけど、地脈異常が関係していたってところかなあ」
「かもな」
ガイアは一度口を閉じて、再度酒で唇を濡らした。試すような目つきが何となく気に障った。しゅわしゅわと音を立てているノンアルコールドリンクを飲み干して、そうだなあ、とその挑発を受けるように口を開いた。
「俺がモンド城付近に現れた時期と、地脈異常が収まった時期が、ぴったり一致していた――ってところかなあ。だったら、わざわざ騎士団がこんな凡人に目をかけるのもうなずける」
ここまで情報がそろえば誰でもわかる予測を並び立てた。それに、ガイアは満足そうにうなずく。
事の経緯はこういうことだ。今からおよそ二週間前、謎の地脈異常がモンド城周辺で起こった。主な現象は花芽の大量発生と魔物の活性化。これらは冒険者協会の手を借りる形で対処することに成功していた。
地脈異常発生から一週間後、突然異常が収まりを見せる。発生原因が不明なのであれば、収束原因ももちろん不明。騎士団も協会も困惑を隠せなかった。
「ってところに、お前さんたちが現れたってワケだ」
「それは……なんだか厄介な時期にお邪魔してしまったなあ……」
「その様子だと、お前さんも特に知ってることはないって感じだな。まったく、厄介な話だぜ」
「晴和さんも知らないってことだもんなあ。第一、俺はモンドに来た時には吐きながら進んでいたから何かをしようにもできないと思うけど」
ちりちりとこめかみが痛む。まだそこまで痛くはない。
あの日、と遠い昔の出来事のように思いを馳せる。あの月のきれいな夜。満月だったくせに、満天の星空を仰ぐことができた、奇妙な夜。
斑は、確か、そう。
(――いや、だめだ、この流れで思い出すのは、何か……確信はないが、けどこれは)
まずい気がする、と思考を無理やりに中断させた。ぷつり、とパソコンのシャットダウンを連想する。痛みはもうない。嫌な感覚も、もうない。
「どうかしたか?」
「……いや、何でもないぞお。それにしても、地脈異常、かあ。元素も知覚できない俺には与り知らない話だなあ」
「ははっ、それはどうだろうな?案外、すぐにお前も『神の目』を手に入れてるかもしれないぜ」
ガイアはそういって、空のグラスを手に取った。ない、という顔をしてから、斑の方を見て肩をすくめた。
「もう人払いする必要もないし、旦那を呼んでくるか。酒がなくなっちまった」
照度を押さえた酒場の中、やりようのない焦りが斑の背中を焦がしていた。ディルックは二階で待っているらしい、特に迷うことなくガイアが階段を上がって、旦那―、と気の抜けた声で呼んでいるのが聞こえた。
神の目。
ガイアの腰にも揺れていたな、と思い出す。もっと言えば、ディルックにも。ガイアの神の目は凍てつくような水色の目で、ディルックの神の目は燃え盛るような赤色の目だった。いずれも、晴和の持つ清廉な青色の目とは印象が違う。違う元素の目というだけでこうも印象が変わるものなのかあ、と不思議に思う。
察するに、ガイアは氷の目、ディルックは火の目だろう。そういえば、晴和が移動には氷が、冒険には火が便利だと言っていた。晴和の神の目の使い方を見るに、ある程度魔法のような扱い方ができるのであれば、確かにそうだろう。特に氷の目で水上を渡れるらしいという話には心が踊らされる。それは何ともロマンあふれる話ではないか。
もっとも、と斑は小さく息を吐く。神の目を得ることをそこまで良いことであると捉えることのできない斑からすればしばらくは無縁の話になりそうだ。そもそも、神の目を得ること自体が容易ではない。
「――だから、少しは酒を押さえたらどうだ、ガイアさん」
「ええ、つれないこと言うなよ、他の客だっているだろう?」
「あっ、俺はアップルサイダーがいいなあ。あれ、ちょっと度数が高いので遠慮したい」
「だ、そうだが?」
「えっ、もう飲まないのかよ……まだまだ余裕じゃないのか?」
「体感いけそうだけど、気分じゃないからなあ。酒は飲んでも飲まれるな……だ」
ふふん、と歌うように返してみれば、酷く残念そうに肩を落とすガイアが目に入って、思わず笑ってしまう。そしてその後ろで若干勝ったような表情を浮かべているディルックも笑いを誘う。
かたん、と小さな音を立ててディルックが再びカウンター内に落ち着く。ガイアも座り直して、再び話をしようと口を開いた。
*
本日は斑との稽古はお休みである。何事も休息が大事、というのは晴和も斑もきちんと認識していて、とりあえず二日稽古したら一日休みということにしよう、といった形で落ち着いた。通常の稽古にしては休みが多いのだろうが、晴和も生来ののんびりした気風のおかげで、斑との稽古を入れると通常依頼をすっぽかしてしまうのである。彼にとっては依頼消化用の休息日、とも言い換えられるだろうか。
本日の依頼達成ですね、という事務的なキャサリンの言葉とともに、報酬を受け取った。報酬が特に問題ないことを確認して、どうも、と立ち去ろうとしたときに、ちょっとだけ、と声をかけられた。
「すいません、あと一つだけ依頼を受けていただけないでしょうか。もちろん、報酬は弾みますよ!」
「俺は適正な報酬があるならそれで……それで、依頼っていうのは」
「はい、今詳細をお持ちしますね」
彼女はいくつかの紙片を並べて、少々特殊な調査依頼なのですが、と前置きをした。紙片にはかすれたテイワット文字が綴られている。
「現在、こういった紙片が風立ちの地周辺で散見されています。時期はおよそ一週間前からになりますね」
「一週間……紙片を見せてもらっても?」
「はい、どうぞ。これらは調査資料としてお渡しいたしますね」
助かる、と紙片にざっと目を通す。認識できる単語をざっと拾って、晴和は眉根を寄せた。
(召喚、呼ぶ、呼応……深淵。それから、何かを賛美するような単語。これは、騎士団と調査した時の紙片と同じ類のものか……?)
あの時はきちんと紙片を確認できていないため、確実に関連性があるかどうかは断言できない。ただ、類似点が多い、と晴和はうなずいた。晴和が一通り紙片を確認しきったことを確認して、キャサリンは依頼内容の詳細の続きを説明してくれた。
「加えて、アビスの怪物の情報がいくつか寄せられています。本依頼は、風立ちの地周辺に出没しているアビスの怪物の討伐、およびこれら紙片の調査となります。後者は必須ではありませんので、アビスの怪物討伐の過程で何か新たな情報が得られればそれを共有していただければ結構です」
「わかった。怪物って、具体的には?」
「アビスの魔術師やヒルチャール、スライムが異常数報告されています」
わかった、と再度頷く。それではよろしくお願いします、と受付の声に小さく頭を下げて、正門をくぐった。
そういえば、とふと思う。本日晴和と同じく休暇である斑は何をしているのだろうか。運悪く風立ちの地周辺にいる、というわけでなければいいのだが――と、そういうとりとめのないことを、ふと、思い出した。
確かに数が多いな、と水の刃を携えて舌打ちを鳴らした。すでに討伐数は二桁を超え、二十辺りから晴和は数えるのを辞めた。もう戦利品を数えればいいだろう。ぎゃあ、ぎゃあ、という耳障りな声を拾っては槍を振るう。
とはいえ、と冷静な頭がゆっくりと思考を始める。これでは体力が持たない。片っ端から退治するにしても、流石にこの量は一人では難しいだろう。大人しく騎士団か協会に人をよこしてもらうように頼んだ方が賢明だ。
「逃がすとでも思ったか!」
チ、と短い舌打ちを打って左へ飛びのく。先ほどまで自分がいた周辺には寒々しい氷塊が突き刺さっていた。
寄りにもよって氷元素の魔術師か、と忌々し気に青白いバリアをまとった怪物をにらみつける。自分の優勢を察したらしい魔術師は、にい、といやらしい笑みを浮かべて見せた。
ぼうっ、と草が燃える微かな音を拾って、とにかく撤退を、と七天神像の方向へ向かって走る。ともかく逃げなければ拾える命も拾えない。炎の魔術師であれば晴和にとって有利な相手ではあるが、多勢に無勢、という言葉もある。
せめて風元素であれば火元素を拡散させて氷元素を消耗させることも出来たのだろうが、と息を吐く。ないものねだりをしてもしょうがない。
次々と飛んでくる氷と火の塊を左右に飛んで避けながら撤退する。モンド城に近づけさせるわけにもいかないが、助けを呼ぶためには城に向かわなければならない。矛盾もいいところだ、と眉間にしわを寄せた。
「フッ――!」
ぱきん、と何かが凍り付く音。
ついで、ごうごうと燃え盛る炎の音。
悲鳴すらも飲み込むような業火の音が、逃れようとする体躯すらも凍てつかせるような氷の音が、逆方向を向いているはずの耳をついた。慌ててその影を確認しようとブレーキをかける。
「ああもうっ、すごい数!ようやく地脈異常が落ち着いたと思ったのに……」
「いやはや、面白くなってきた……なんて、言えない状況だな」
ぴょこん、と赤いバンダナが目に入った。アンバー、と安堵の声が漏れる。いや、もちろん一緒に来てくれたらしいガイアも頼もしい援軍ではあるが、それぞれの持つ元素の得手不得手の関係上、水の目を持つ晴和からすれば火の目を持つアンバーが来てくれたことが何より心強い。それに、近接戦闘を得意とするという面から見ても、優秀な狙撃手である彼女は心強い援軍と呼ぶのに十分すぎた。
どうしてこんなところに、という疑問を飲み込んで、ひとまず安全を確保しなければと軽く切れはじめた息を整えて周囲を確認する。
「それなら、この偵察騎士アンバーに任せて!モンドは私たちの庭なんだから!」
頼もしく胸を張ったアンバーがこっちこっちと手招きをする。それを追いかけて、何となく晴和が前へ、ガイアが後方へ落ち着いた。案内ができると言っても前衛と後衛の役割分担は変わらない。
七天神像の方向から少しずれて、雪山のある方向へ。穏やかな丘陵が多いモンドではあるが、雪山方面へ向かうと高低差の激しい地形が顔を覗かせていた。そうなると、必然的に身を隠すのに適した場所、というのもそれなりの数があることになる。
流石、と思わず口を突いて出た言葉に、アンバーが小さく照れ笑いを浮かべた。当然でしょ、と誇りと嬉しさが混じった声音に、知らず、口元が綻んでいた。
道中の怪物を危うげなく討伐し、アンバーの案内する岩陰に身を隠す。岩肌と岩肌が重なり合った場所で、入り口はかなり狭い。小柄なアンバーや晴和はまだしも、ガイアは入るのに少々苦労していた。それを見て軽くアンバーが噴き出していたのは別の話である。
それなりに息切れしている晴和の様子を見てアンバーとガイアが顔を見合わせた。アンバーの眉間にきゅっと皺が寄る。ベテラン冒険者さんがここまで疲弊するなんて、と事の深刻さを確かめるような言葉を拾って、小さく苦笑いを浮かべた。
「俺みたいな類の冒険者は大抵冒険団を組む。ふらふらふらふら、一人で放浪している者の方が少ない」
「あ、うん。それはそうなんだけど、それを抜きにしても晴和さんって槍の達人だってガイア先輩から聞いてたから……」
じろりとガイアをにらみつければ、彼は我関せずといった様子で明後日の方向を向いて口笛を吹いた。無駄に上手なのが腹立つな、と嘆息を漏らして、過剰評価だ、と付け加えた。
「そうなの?モンドだと長柄武器の使い手って少ないから確かな弧とは言えないけれど、十分強いと思うな」
「モンドでは、だ。長柄武器が主流の璃月や稲妻じゃあ中の上程度だと思う。なあ、ガイア」
「くくっ……」
「面白がるな」
そもそも本来話すべき内容はこれではない。小さく頭を振って、あの怪物たちは、と軌道修正のために話題を無理やり変えた。急な話題の変更だったが、ことがことだったためだろう、アンバーもガイアもすぐに真剣な表情を浮かべて、考え込むように目線が下に向いた。
「こうも時期が近いと、やっぱりあの地脈異常が関係しているのかも。晴和さんのところに行くまでに、アビスの魔術師が何か話し込んでいるのも見たし……あっ、もちろん退治はしたよ」
「ああ、俺とアンバーは途中まで別行動だったが、似たようなもんだ。お前さんはどうだ?」
晴和は風立ちの地周辺での出来事を思い出す。わらわらと群がるヒルチャール、こちらに気づいて攻撃を仕掛けてくるアビスの魔術師。
そういえば、偵察騎士であるアンバーや、裏工作を得意とするガイアと違い、晴和は正々堂々風立ちの地に乗り込んでいったことを思いだした。これでは情報を得るも何もない。迎えうたれて当然である。
うん、と一つ頷き、正直に打ち明ければ、あちゃあ、というアンバーの声が漏れ出た。非常に耳の痛い話である。
「えっと……」
切り出しにくそうに歯切れ悪く口を動かして、アンバーが伺うように晴和の方へ視線を向けた。続きを促すようにうなずけば、彼女は安心したように、いつも通りのはきはきした様子で続きの言葉を口にする。
「あたしが聞いた内容はね、何か呼び出そうとしたけど失敗したーって内容だったよ。それが魔物なのか、何か別のものなのかはわからないけど……」
「俺はどっちかって言うと襲撃の算段の方だったな。このままだと、明日の昼ぐらいにはあの怪物どもがモンド城にやってきかねない」
「うそ、そんな……!」
乾いた笑いが岩肌に落ちる。まだ明るい時間だというのに、岩陰は酷く暗くて寒々しく感じられた。
時間がない、と気持ちだけが先行する。そわそわと落ち着かなさそうであるものの、何が最善であるかを思考するアンバーの様子を見て、ほお、と感心したようなガイアの声が耳に入った。必死に考えている彼女には届いていないらしい。
特に言及する必要もないだろう、と晴和もしっかり考えるために体勢を変える。
「早急に手を打たなければならない、か……ん?」
ちょうど左側に手をついた時、つん、と指先に何か当たった感覚があった。次いで、僅かな痛みが指先に走る。ぴりりとした感覚に眉をひそめた。
「それ、矢尻?」
「らしい。こんなところに、か……ガイア、少し攻撃してみるぞ」
「了解だ」
申し訳程度の癒しの力で切り傷をふさいで槍を握る。ガイアも片手剣を握っていることを確認して、二人で武器を岩肌に向かって振り下ろした。
「あっ、崩れそう!大当たりだよ、やった!」
「みたいだ、なっ!」
ぐっと槍を両手で握り、力強く突進する。ガイアも力強い二連撃を岩肌に向かって繰り出した。
がこっ、という鈍い音とともに岩肌だった場所が崩れ落ちる。はたしてそこには、薄暗く埃っぽい、いかにもといった様子の通路が伸びていた。
暗いはずだというのに、道の様子ははっきりと確認できるほどの光量がある。すなわち、この洞窟を使用していた何者かが確実にいるか、つい最近までいたということを示している。晴和たちは思わず顔を見合わせて、一つ頷くとガイアが先行する形で、アンバー、晴和の順に入っていった。
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