泥舟と旅路【自由と風の国】2

 いつになく落ち着かなさそうな様子に、ガイアはくつくつと愉快そうに肩を揺らしていた。何とも分かりやすい男だ、と笑みを堪えるように口元に手を当てて、しかし結局こらえきれずに肩を震わせた。

「そんなに気になるなら、尋ねればいいんじゃないか?絶縁されたわけじゃあ、ないんだろう」

「それはそうだが……いや、その話は後だ」

「おっと……はは、空気の読めない連中だぜ」

 言い訳をしかけた口をきゅっと閉じて、暗い灰色の目が敵意に満ちる。視線が向けられた先には何もないように見えるが、神の目を有する彼らには確かにとらえているものがある。

 美しい赤と紫の痕跡。火傷しそうな熱の残滓と、刹那を駆け抜けたはずの光の残滓がくるくると踊っている。

 青と灰の目がしっかりとその痕跡を捉え、二人はほぼ同時に利き足で地面をけりだした。丘の向こう側。恐らくはそう遠くない、と確信を持って駆け抜ける。

 ひんやりとした感覚がほほを伝う。ぽつぽつと小さな音を拾ったかと思えば、あっという間に全身はずぶぬれになった。慣れた感覚に晴和の表情が消え失せる。

 流れていく。流れていく。

 何もかもを、透明な『水』に流してしまえ。

 冷たくなっていく精神を自覚して、きつく槍を握りしめた。得物に残る光の筋は分厚い雨雲にさえぎられた日の光のように消え失せた。ハハッ、と嫌に冷淡な笑い声が隣で落ちる。こちらもこちらで何とも冷たい笑顔なことで、と内心で彼らは小さく苦笑を浮かべていた。ある意味では似た者同士。けれど決して相容れないと分かっている。

 ガイアもすでに片手剣を握っていた。丘の上から飛びあがり、風の翼を広げる。ぽつぽつと強くなりきれない雨粒が翼を濡らす。アイコンタクトを取れば、ガイアは軽く距離を取った。

 小さくうなずきあって、風の翼を閉じる。ガイアは片手剣を、晴和は槍を。それぞれ切っ先を地に向かって――討伐するべきものに向けて、自由落下を開始する。ごうごう、ごうごう、耳元で風を切り裂く音が聞こえる。

 嫌いだな、といつも思う。このおちていく感覚は、いつになっても好きになれない。

 ぐぎゃっ、と醜い声が鼓膜を震わせた。どこまでも冷たい灰色が赤と紫の怪物をにらむ。

 ハハッ、と心底愉快そうな笑い声が雨音に解けていく。好奇と愉悦の色を宿した青い目が怪物をとらえた。片や邪悪を許さない冷酷な色を、片やその恐怖すら弄ぶような残酷な色を浮かべて、二人の青年が武器を構える。

「面白くなってきたな。アビスの魔術師が二人がかりで隠すもの、か……晴和、お前はどう思う?」

「知らん。ろくでもないってことだけはわかるが。ああ、案外派手な騒ぎを起こすつもりだったんじゃないか。いい具合にお粗末で、雑な計画を立てていたのかも」

 いつか道行く青年に手を貸したとは思えないほどの冷たさで返せば、ガイアは不吉な形を称える目を細めて笑う。そいつは見逃せないな、と氷の元素がガイアの片手剣をゆっくりと冷やしていく。

「チッ、逃げ――」

「させるかよ」

 パキン、と雨粒が形を得る。薄氷に包まれた雷の魔術師を尻目に逃げ出そうとする炎の魔術師に、晴和は呆れた目を向けた。

「仲間を見捨てて逃げるか。どこまで浅ましい――死の淵で悔いるといい」

 雨粒が不自然な弧を描いて、槍の周りに刃を形作る。近接戦最強と故郷では歌われた武器の形状となって、怪物の胴を切り付けた。ぎゃあっ、と聞きなれた悲鳴がかすめていく。もう一撃、と刃を返して再度斬撃を見舞う。

「おお、おっかない」

「ぬかせ」

 先ほどから雷の魔術師を氷漬けにしたまま、反撃を一つも許さないガイアにだけは言われたくない、と晴和は小さく笑みを浮かべる。すでに虫の息となっていた魔術師にとどめの刺突を見舞って、長柄槍を仕舞った。

 終わったのか、とガイアも瞬きをして、容赦なく氷漬けにした魔術師の頭を踏みぬいた。ばきり、と嫌な音が響き渡る。

「いや、お前にだけは言われたくないな……」

「そうか?すでに虫の息の相手をわざわざ串刺しにするのもどうかと思うぜ、俺は」

 それぞれ無言で顔を見合わせて、どっちもどっちだな、と晴和は息を吐いた。何が面白いのか、ガイアは楽しそうに喉を鳴らしている。彼の、どうする、と楽しそうな声が雨粒で反響したように聞こえた。

 ちりちりと肌がひりつくような感覚に目を細める。赤と紫の痕跡はしっかりと残ったままだ。たどれば何かはあるだろう。何もない可能性も否定はできないが、とガイアの方に目を向けた。騎兵隊長は肩をすくめて武器を仕舞う。どうやら調査は続行するらしい。

 双方無言で痕跡を辿る。アビスの魔術師があの二体だけ、という確証はないものの、あれだけ派手にやりあったというのに追手が来る様子はなかった。恐らく、本件を担当していたと思われるアビスの魔術師はあれらだけだろう。

 うっかり使徒が出てきたら厄介だな、と晴和は小さく息を吐いたが、その可能性は低いだろうと推測していた。

 彼らは酷く狡猾だ。使徒ともなれば、それこそモンドの騎士団などに補足されるような愚かな行為をするわけがない――昏い色の目で元素の痕跡を辿りながら、知らず、拳を固く握りしめていた。

 ざあざあと雨音が身体を叩いていく。雨脚は強くなっていく一方で、収まる気配は一つもない。なぜか楽しそうなガイアの様子に首を傾げつつ、やっとのことで元素の痕跡の大元にたどり着いた。

「洞窟、だな。いかにもアジトって感じだ。面白くない」

「水と氷があればうまく立ち回れるだろうが……念のため聞くけど、どうする?」

 ガイアはにやりと口角を上げる。まったく、こういう時だけは本当に頼もしいのが腹正しいことである。

 晴和が先に足を踏み入れる。嫌なにおいが鼻について、思いっきり舌打ちを鳴らした。後ろで笑い声を堪えなくなったらしいガイアの声がころころと転がっていった。本当に何がおかしいんだ、と抗議するようにじろりとにらみつければ、ガイアはくつくつと笑いながら肩をすくめて見せた。

「そら、油断するなよ!」

 ぱきん、と氷が飛び散る。霜が降りて動きが鈍ったヒルチャールに水の刃を通す。ぴしり、と動きが綺麗に固まったところをガイアが素早い剣戟でとどめを刺した。

「申し訳程度の戦力らしいな。元素の痕跡もさほど強くはないし……」

「みたいだな。もう少し楽しめるかと思ったんだが、残念だ。やることだけやってお暇するとするか」

 そうだな、と頷く。陰鬱な空気の洞窟の最奥、ちらほらと散在していたヒルチャールを返りうちにして辿り着いた先には、特に目立ったものは見つからなかった。

 とりあえず調べるか、とガイアが雑に配置された収納を片っ端からひっくり返していく。特にめぼしいものはないな、と落胆した声を聴いて、晴和もテーブルと思わしき場所を漁っていく。

 確かにめぼしいものは見当たらない。何もないな、と二人して少々残念に思っていれば、ふと指先に何か当たった感触があった。たまたま地面についた手が、落下していたらしい紙片に触れたようだった。

「メモ紙か?ちょっと見せてくれ」

 どうぞ、と紙片をガイアに手渡す。ほーう、と楽しそうな声音に、何か「面白いこと」が書かれているのだろうな、と晴和は背の低いテーブルに腰を掛けてガイアを待った。

「ところどころ掠れちまって読めないが、何かやろうとしていたのは確かだな。深淵……呼応……呼び出し……か」

「どうにも不穏な並びだな。っていうか、そんなに掠れてたのか、それは」

「いや?ただ、それ以外は暗号らしいから端折っただけだよ。読めないからな」

 怪しい、という目を向けるが、ガイアはにやりと怪しげな笑みを浮かべただけだった。食えないヤツ、と悪態をつけば、ガイアはただ楽しそうに紙片をポケットにねじ込んだ。

 どちらにせよ彼らの言語は晴和にはわからないし、ガイアがそう簡単にモンドを裏切るとは思えない。重大な情報は読み取れなかったことに間違いはないのだろうな、とその他の内容は一端置いておくことにする。

「何かを呼び出した……だとしたら、何を?いつ?……なんのために」

「さあな。そこまでは流石にわからないが」

 ガイアが拠点の内部を見渡して、ここから推察することぐらいはたやすい、と肩をすくめた。

「見たところ、そこまで古い拠点じゃなさそうだ。時期にして、ほんの数日前くらいに見える」

「調度品もそんなに古くないから、か……戦力が整っていなかったのも、出来立ての、それもあまり重要ではない拠点ということにすれば頷ける」

 いわゆる使い捨ての拠点、とすれば納得できるだろうか。晴和は考えを巡らせて、それから小さく首を振った。これだけから辿り着けるものはない。それはガイアも同様らしく、そろそろお暇しようぜ、とすでに出口付近に足を運んでいた。

 陰鬱な空気が立ち込めた場所をもう一度だけ振り返る。なぜか、もっと調べた方がいいような気がした。

 調べる理由はない。もう手掛かりはどこにもない。

 気にかかる点がないわけではないが、もういいだろう、と自分を無理に納得させるようにしてそこから離れた。

 騎士団本部でガイアは肩をすくめて報告を終える。特段新しい発見はなかったぜ、とわかり切っていたことを改めて口にするような声音がしんとした室内に落ちた。

「そうか。……先日の地脈異常は、彼らの仕業ではなかった、ということか」

「あら、それは早計じゃないかしら。新しい発見がなかった、というだけでしょう?」

「ああ、リサの言う通りだぜ、ジン。そもそも、あの真新しい拠点にアビスの魔術師二人がいた、っていうのがすでに怪しいからな」

 な、とガイアの視線が飛ぶ。晴和は小さく息を吐いて、そういうことはよくわからないが、と前置きをしてから口を開いた。

「魔術師が二人もいた割に警備は薄かったのが気になる。それに、あのメモ……何をしようとしていたのかがさっぱりだ」

「ああ、あの紙片だな。確かに、書かれている内容も抽象的すぎて……全く、やっと龍災が落ち着いたと思ったらこれだ」

 気が休まらないな、と弱音をこぼしたジンに、思わずといった様子でリサとガイアが顔を見合わせる。一瞬の目配せの後、ならいったん休むのはどうかしら、とリサが優しく提案をする。しかし、とためらったジンに、すかさずガイアが書類をさらっていった。残りの仕事は俺達でも片付きそうだな、となぜか悪戯をするようなあくどい笑みを浮かべて言った。

 仲いいな、西風騎士団。晴和はふと母国の統治組織の様子を思い出したが、すぐにそれを振り払った。各権限を三つに分散させた時点で分かる通り、あまり各奉行で仲がいいわけではない。挙句、彼の母国では新たな施策によりさらに内部情勢は険悪になっていた。

「そういえば」

 ふと、思い出して口を開く。晴和は流れで西風騎士団に協力をしたはいいものの、先日の地脈異常の内容をさっぱり知らないままだった、と思い出した。リサが苦笑いを浮かべて、確かに説明をしていなかったわ、と本棚から一冊の記録を取り出す。

「地脈異常が確認されたのはつい最近。だいたい一週間くらい前ね。とにかく地脈の花芽が大量に湧いて出たのが始まり。最初に気づいたのは冒険者協会で、調査も彼らが請け負ってくれたわ。……その後、魔物の凶暴化。具体的にはスライムの大量発生、ヒルチャールの襲撃。これが、つい一昨日になってぱったり止んだわ」

 思わず黙り込んでしまう。聞けば聞くほど奇妙極まりない異常だ。徐々に収まるわけでも、徐々に発生していったわけでもない異常。

 一昨日になって止まった、と晴和は納得がいったように息を吐いた。なぜ自分に協力要請が来たのか、わかりやすい理由がある。晴和がちょうどモンド城を訪れたのは一昨日だ。少なくとも四日前の晩にはすでにそんな異常は見受けられなかった。

 そう。

 あの夜――あの不思議な青年と出会った夜には、そんな異常は存在しなかった。

「彼は無関係だと思うが……」

「そうか?現れた時期もぴったり合ってるし、何より奇妙な点も多いだろ、アイツ」

「ああ、そうだな。晴和、申し訳ないが、彼の存在は我々としても無視はできない。『栄誉騎士』の時と違って、タイミングが合い過ぎる。何より……」

 ジンが眉間にしわを寄せて続ける。未だ無力である状態でいるのが気にかかるのだ、と不安と疑い、あるいはそうではないことを祈るような、ごちゃまぜの感情を内包した声音が机から転がり落ちた。

 ああ、それはもっともだ。晴和も渋々ながら頷く。統治組織として、それはどこまでも正しい判断だ。危険因子を野放しにしておく理由はない。

 けれど、と彼は思う。

 あの青年は違うと思うのだ。確固たる理由もないし、確信もない。けれど、直感だけが違うと確かに叫んでいる。

「多分、彼はしばらくの間はモンドを離れないだろうし……いっそ、俺が見張ろうか」

「おっと……」

 意外そうな視線が刺さる。三者ともその提案は予期していなかったらしく、まあそれはそうだろうな、と晴和も内心で苦笑を浮かべていた。故郷を飛び出してまで旅をしている自分らしくない選択だな、とは心から思う。

「迂闊に騎士団が距離を詰めてきても、かなり警戒する性質だと思う。だったら、一介の冒険者である俺の方が、都合がいいんじゃないか。何より、たぶん彼と俺は同郷だ」

「ああ、もっともらしい理由ができるってことね。どうかしら、ジン?悪くない提案だと思うけど」

 初対面で警戒し、その後面倒を見ようとする自分をかなり疑っていた様子を思い出す。今思うといっそ笑いがこみあげてくるほどの警戒具合だったが、それを感じさせない程度に付き合えるというのも中々すごいことだろう。多分、晴和がもっと鈍ければ気づけなかったに違いない。

 リサの同意と、特に反論をしないガイアの様子を見て、ジンが少しばかり考えるように黙り込む。

「……不定期にガイアやアンバーを向かわせよう。それであれば許可できる」

「うん、十分だ。ありがとう、代理団長殿」

「いや、礼を言わなければならないのは我々の方だ。こちらで負うべき業務を君に押し付ける形になってしまった」

 晴和からすれば、律儀に報酬を渡されている時点で全く構わないのだが、と落ち着かなさから頬をかいた。あらあら、と責任を負い過ぎる嫌いのあるジンにリサが苦笑を漏らして、好意には甘えておくのが仕事をうまく回すコツよ、と小さく笑った。

「うちの代理団長様は責任感が強すぎていけないな」

「いいリーダーなんじゃないか」

「まあな」

 ガイアが肩をすくめて、苦笑を浮かべる。ジンのワーカーホリックな性質には苦言を呈されているものの、改善される様子がないとは本当のことらしい。

 それじゃあ、今日はこれで、と騎士団本部を離れようと背を向ける。

「一週間だ」

「期間か」

「ああ。すでに四日過ぎている。拠点はすでに君とガイアが片付けてくれている。彼らが行動を起こすとすればそれぐらいがタイムリミットになるだろう」

「わかった。そのあとは?一応、報告に来た方がいいか」

 そうだな、とジンがうなずく。こちらから騎士団員を派遣しよう、と提案されたが、別に大丈夫だと断った。報告を済ませるということはモンドを離れるときになるだろう。別れの挨拶ついでによると思えば、面倒でもない。

「……そうか。改めて礼を言う、晴和。君の協力に感謝を」

 どこの国でも上に立つ人間は大変だな、と月並みのことを思って、会釈だけをして騎士団本部を去った。

 外はすでに真っ暗になっていた。とっぷりと暮れた街並みは、一部を除いて温かな静寂を守っている。少し下町に降りれば、にぎやかな話声が店の外にまで聞こえてきた。酒場で飲み明かしでもしているのだろう。モンドの酒は美味いと聞くから、ここを出る前に一度は飲んでおきたいものだな、と晴和は土産屋を横目にアパートへと向かう。

 星がきらきらと瞬いている。

 風がそよそよと吹いている。

 空気は暖かく、家々にはまだ灯りがついていた。窓からこぼれる光が街を淡く照らしている。

 郷愁に駆られて、下を向いた。なじみ深い音の名前を聞いたせいだ、と言い聞かせる。こんなところで稲妻の名前などほとんど耳にすることなどないから――

 こつり、と石の階段を下りる靴音を聞く。大きく息を吸って、もう一度空を見上げた。まんまるな月が南を目指して上っている。月の光にかき消されそうになりながらも、無数の星々が輝いていた。

 恋しいな、と寂しい心を自覚する。無視し続けるのは無理があったらしい。自嘲するように笑って、迷子のように足を進めた。

「あ、晴和さん!こんばんはあ!」

 一瞬、音がかき消えたように思った。

「あれ、聞こえてない?無視はよくありませんよお。ほら、こんばんはあ!」

「こ、こんばんは」

 先ほどまでの郷愁を返せ、と内心で叫ぶ。長身の青年はにこりと人懐っこい笑顔を浮かべて、見慣れない服装をまとって晴和の前にひょっこりと現れた。

 モンドの衣服だな、とすぐに見当が付く。暗い中ではあるが、あの特徴的な異国の服装を見間違えるわけがない。茶色の外はねした髪と、不思議な光を称えた緑色の目。

「宿、確保できたのか」

「おかげさまで!協会でちょっと多めに依頼を回してもらってやっと、だけどなあ。結構無理を言ってしまったから、キャサリンさんに後でお礼をしないといけないなあ」

「どうかな。採取系の地味な依頼って、意外と受ける人が少ないんだ。存外助かってたかもしれない」

「それだったら何よりだ。それより、何か悩み事かなあ?随分暗い顔をしているけれど」

 ああ、と頷く。

 多分、違う。彼は違う、と直感で分かってしまう。故郷の名前の響きではあるが、自分と同郷ではないことだけは分かっていた。

 ただ、それでもなつかしさが勝ってしまった。

「……懐かしくなっただけだ。故郷を離れて、随分経つから」

 それを、嘘でごまかすように言葉を重ねた。貫くほどの嘘ではないから、隠す風でもなく、かと言って真実だと思わせるようなしぐさもしない。それ以上の意味があることくらいは気付かれるだろう。

 それでもいいや、と小さく言葉を落とした。思っていた以上の小さな声に、自分でも笑ってしまう。

「ははは、それは分からなくもないなあ。あ、そうだ!特に予定がないなら、エンジェルズシェアにいかない?モンドの名酒をぜひとも飲んでおきたくってなあ」

 ああ、と腑に落ちたような気持になって、自然と口角が上がった。どこか危なっかしい子供を見るような目の青年が少々気にくわないが、致し方ないだろう。先ほどまで迷子のようだったのは紛れもなく自分の方だ。

 なんて事のない世間話。当たり前の小さな約束事。

「明日は護身用に武器を買おうと思うんだけど、晴和さんのおすすめってある?とりあえずワーグナーさんと、サイリュスさんには聞いたんだけど」

「既にがっつり聞いてるじゃないか……俺もそこまで詳しいわけじゃない」

「ふふん、念には念を入れよって言うだろう?」

 はは、と笑いがこぼれた。当たり前の、明日の約束。そういうものから遠ざかって、どれぐらい経っただろうか。思っていたより寂しがりだったらしい、と今更認識した自分の性質を笑って、逆方向に足を向ける。

 賑やかな方向へ。静けさが徐々に喧騒に変わるのを聞いて、楽しい気分になって口角を上げた。

 エンジェルズシェアはモンド城内で最も有名な酒場の一つだろう。理由はいくつかあるだろうが、そのうちの一つに、モンドで最も有名な醸造所であるアカツキワイナリー直営の酒場であることが挙げられる。

「今日はオーナーがいないのか」

「それは残念!けど結構にぎわってるなあ。どんなのが置いてあるのかなあ、と……」

 ひょこっと斑が晴和の肩から顔を出して料金表を覗き込む。ふんふんと頷いてから、晴和さんは何を頼むの、と無邪気な様子で聞いてくる。そうだな、と並べられた銘柄を見て、うん、と小さくうなずく。

「せっかくモンドに寄ったんだから、ここは蒲公英酒だな」

「じゃあ俺もそれで!」

 即断した斑に思わず苦笑いを浮かべれば、何がいいのかさっぱりだからなあ、と堂々と言い放った。

 適当なテーブルに落ち着いて、酒を口に含む。アルコールの匂いに交じる、蒲公英の香りが暖かだ。冷やされた酒は喉を通る際に確かな熱を残して胃に流れていく。アルコールはそれなりにありそうではあるが、さわやかで温かな蒲公英の香りと程よい苦みがちょうどいい。これはうっかりすると飲み過ぎるな、と晴和はグラスを置いた。

「……いや、早いな」

「うーん、ついいつもの調子で飲み干してしまったなあ……」

 すでに目の前の男のグラスは空である。晴和ですら半分以上残しているというのにこいつ、とジト目を向ければ、本当にうっかりだったらしい、斑は照れ隠しをするように眉尻を下げて乾いた笑いをこぼした。

 顔色はさっぱり変わっていない。何となくそれっぽいな、と残りの酒に口をつけて思う。斑は見た目酒豪っぽい。ワクとまではいかないまでも、ザルに違いない、などと失礼なことを考えていたが、当たっていたらしい。

「追加は頼まなくていいのか」

「ははは、生憎と懐が寒くてなあ。色々整えていたらすっからかんだ」

「そうか……」

「まあ、仕方ないなあ。これでも新米の冒険者としては結構荒稼ぎをした方だし、これ以上は贅沢というものだしなあ?」

 決して高くはないが、いいものを買ったのだな、と彼の装備を見て思う。コストパフォーマンスの高いものを選んで購入していることが伺えた。実に無駄のない装備で良いことである。明日は武器を、と言っているあたり、それ用の予算も相応に残しているのだろう。

 半分ほどに減った蒲公英酒を何となくちらりと見て、順調そうでよかった、と漏らした。

 晴和としてはこの流れは好都合だ。西風騎士団との話もあるし、なにより、彼の動向は純粋に気になる。

 故郷のそれとよく似た響きの名前を名乗った男は、どうにも謎めいた存在だった。稲妻出身かと思ったが、どうやらそういうわけではなさそうだ。晴和という名を名乗った時点でそれなりの反応を返してくるかと思ったが、そんなことはなかった。稲妻には、という言葉を使ってみても特に反応はなかった。いや、単純にそれどころでなかった可能性はあるが――今の稲妻の情勢を考えれば、何かしらのアクションがあってもおかしくはないだろう。

 今現在、国外にいる稲妻人は極端に少ない。あの雷を伴う大嵐の海を命からがら渡ってくるような奇特な人間はそういないからだ。

 緑色の目の青年は、じいっとこちらを観察するように黙っていた。何か、と首を傾げれば、腰のそれ、よく見てみてもいいか、とためらいがちに言った。

「神の目を?構わないが……」

 腰の留め具から水の目を外す。珍しいな、と意外に思って、机の上に神の目を置いた。ころんとした、丸い宝石のような輝きを放っているそれを、斑は心底興味深そうに観察している。

「そんなに面白いか?」

「かなり。晴和さんの戦闘はちょっと拝見できたけど、やっぱりあると便利そうではあるなあ」

 うんうん、と頷くわりに淡々とした反応にさらに首をかしげることとなった。神の目を切望している、という様子ではなさそうだ。神の目が欲しいのか、と出来心で尋ねれば、心底不思議そうな表情を浮かべて、斑は別に、と即答した。

「欲しい、なんて一言もいっていないだろう?」

 にこり。浮かべられた笑顔はどこか寒々しい。どうやら自分は彼の逆鱗に触れたらしい。そうか、と短く返せば、斑はそれ以上何も言うことはなかった。淡く光を宿した神の目が静かにテーブルの上に鎮座している。

「『水』、かあ……」

「意外か?」

「実を言うと、少しだけ!自由な『風』か、好戦的な『火』の方が第一印象には近いかもなあ。もっとも、俺は晴和さんのことをまだよく知らないし、本質的には『水』なのかもしれないけどなあ」

「好戦的な、って……そうでもない」

「そう?俺は止めたのに怪物の群れに突っ込んだのはどちら様だったかなあ」

 にやにやと意地悪い笑みを浮かべる彼はすっかりいつも通り――少なくとも、晴和の知る斑だ。それはそうだが、と言い訳をするように言葉を重ねたが、確かに好戦的な嫌いはあるのかもしれない。

 いや、でも見つけた端から討伐しているわけでもないし、時と状況に応じて対応は変わる。これも、まだ斑が晴和の一面しか知らない、ということなのだろう。

「あ、でも槍はそれっぽいかもなあ!」

「どういう意味だそれは」

「さあ?晴和さんから見て、俺はどんな武器を使うと思う?」

 急な問いに、そうだな、とついつい真剣に悩んでしまう。斑の体格はかなりいい方だし、筋肉のつき方からして身体能力も相応に高い方だろう。何となく、スタンダードな片手剣を持って駆け回る姿を想像した。それはそれで合いそうではあるが、と晴和は唸って、口を開く。

「大剣か」

「……それ、素人に扱えるものなの?片手剣ならある程度は使えるとは思うけどなあ」

「なんだ、剣の心得はあるのか」

 少しだけなあ、と苦笑いを浮かべた斑に意外そうな目を向けてしまう。意外とやり手なのだろうか、と訳もなく楽しい気分になりつつ、いいと思うが、と続けた。

「槍を持っている俺が言うのもなんだが、探索にも便利だぞ、大剣」

「そうかあ?どっちかって言うと身軽な片手剣とか、弓とか、何なら法器の方が旅には向いてそうだけど」

「ああ、弓も便利だな。ただ、怪物の持つ盾や元素バリアの対抗策として汎用性が高いのが大剣だからな……」

 正直言って肉は弓でなくても得られるし、なんなら食料は行商や街で買い貯めることができる。ただ、対怪物の戦闘においては大剣を持つことの優位性は大きい。水元素の使い手である晴和から見れば余計にそうだ。特に岩の盾。あれは厄介だ、とついついため息をついてしまう。

「ふーむ、そういう話を聞くと検討するべきだなあ……」

「岩の盾は同じ岩元素で破壊するか、過負荷の元素反応で吹き飛ばすか、大剣で壊すかの三択なところがあるから……とにかく回り込んで打ち込もうとする間に狙撃されるし、本当に嫌いだ……」

 心底嫌そうな声音がツボに入ったらしく、あはは、と楽しそうな笑い声に冷めた目を向ける。本当に厄介なんだ、と念押しすれば、わかったわかったと、微妙にわかっているかわかっていないのかわからないような調子で返事をした。

 蒲公英酒の香りがまだ鼻孔の奥に残っている。夜が更けていく中、わいわいと騒がしい酒場で話を続けていた。

 開口一番の元気なあいさつに晴和はしょっぱい表情を浮かべて、それから小さく嘆息した。朝から元気でいいことだ、と皮肉交じりに言えば、俺はいつでも元気だからなあ、と腹の立つ返事が返ってきた。

「まるで俺が不健康みたいな言い方だな。このまま討伐に行ってもいいが」

「あはは、冗談だぞお!第一、一人旅ができるような人が体調管理もろくにできないとは思えないしなあ」

「……」

 その、子供のような試し行動は一体何なのか。ほんの少しの呆れを含ませて、ワーグナーの店に並ぶ武器を見る。シンプルだがいいものがそろっているな、とちらりと見て、とりあえず振ってみたらどうだと口にした。それを、簡単に言うなあ、と斑が困ったような笑みを浮かべた。

 おもむろに大剣を手に取り、重いなあ、と言って持ち上げる。

「ほう……意外と重心がぶれないな。それなら、大剣も十分視野に入るだろう」

「えっ」

「稽古なら言い出しっぺの俺が付けようか」

「えっ」

 いやいやいやいや、と慌てたように手を顔の前で左右に振って、それから手に持った大剣をまじまじと見つめていた。

「ありかあ……?けどなあ。使いやすさなら片手剣の方がいいように思えるんだよなあ」

「実際、扱いは難しいだろうがな。扱えれば一人旅するっていうなら便利だろう」

 思わぬワーグナーの援護射撃に、ええ、と斑は困惑したような声を漏らした。

 大剣は名前の通り巨大な剣だ。ものによるが、中身長の男性と同じくらいの大きさにもなる鉄の塊は、それだけでただただ純粋に重い。

 大剣という武器を扱うには、それを振り回すだけのパワーがまず備わっているかいないか、という関門がある。さらに、大剣を持ち上げられたとしても、それをきちんと振るえるかどうか、の問題もある。剣に振り回されるのであれば意味はない。そうなるくらいなら片手剣を振るった方がはるかにましだろう。

 晴和はまだ大剣を握っている斑を見る。彼は持ち上げるときに片手で持ち上げ、位置を固定するために両手で持った。十分だと思うんだが、と晴和はうんうん唸っている斑を見て内心で苦笑した。慎重なのはいいことだが、慎重すぎても前進が遅くなるだけだ。

「とりあえず買ってみたらどうだ?」

「軽く言うなあ!懐寒いって昨日言ったと思うけど?そうほいほい武器を買い替えるだけのお金なんてないんだよなあ」

「大剣なら鉱石も集めやすいだろ。最悪、打ってもらえばいい」

「……その手があったかあ。なるほど、それなら確かにありだなあ。よし、ワーグナーさん、これ下さああい!」

「やかましい!」

 ははは、と楽しそうな斑にごもっともすぎるつっこみを入れるワーグナー。モンド城は今日も賑やかだな、と晴和は明後日の方向のことを考えていた。

 きっちり清算を済ませた後、じゃあ言い出しっぺの晴和さんよろしく、と元気よく武器を構えて見せた斑に思わず笑みを浮かべる。それじゃあ外でやるか、と一度正門をくぐって、橋を渡った。

 モンド城を出てすぐは怪物もほとんど出ず、実質安全地帯と言って差し支えない。街道からやや外れた位置に出て、これであれば問題ないだろうと晴和と斑は武器を取り出した。

「とは言っても、俺はまともに稽古もしたことがないからな……」

「えっ、それで稽古引き受けたの?考えなしなのかなあ」

 容赦がなさすぎる言葉にぐっと黙り込む。事実でしかないが、改めて自分の無計画さを突き付けられるようでつらい。

 必死に大剣の知識を引っ張り出す。今まで戦ってきた相手に大剣使いもいたから、彼らの使い方と自分の知識を何とか合わせようと唸ってしまう。

 それを、面白いものを見るかのような清々しい笑顔を浮かべて斑が見ていた。もしかしなくても愉快犯なのかもしれない。

「大剣はその性質上重心が柄付近にくる。切れ味は問題ないはずだから、速度をうまく乗せて切り飛ばす、というイメージでやるのが早いんじゃないか……わからないが……」

「雑だなあ」

 まるでほほえましいものを見るかのような目はやめて欲しい。ぐうっ、と何も言えず黙っていれば、斑はぐっと両手で大剣を持ち上げて軽々と振り回し始めた。

 粗はもちろんあるし、隙もかなり大きい。それでも剣術をさっぱりやっていない人間の動きではなさそうだった。経験者じゃないか、と喉まで出かかった言葉を飲み込んで、そこまで振るえるなら実戦形式でも問題ないな、と意地悪半分で提案する。

「うん、是非お願いしよう!愚公移山っ、とにかくたくさん練習すればそれっぽくはなる!」

 と、この調子で笑って了承されてしまったので、晴和は少ししょっぱい気持ちになった。つくづく食えない男である。

 おかしな話だな、と斑は内心で小さく息を吐いた。

 どうにも不可思議なことが多すぎる。少なくとも、斑自身が今まで把握していた物理法則と、ここの物理法則はどこかおかしな点が複数ある、と斑はにらんでいた。

 高所からの落下の際のダメージ、単純な筋力、これらは明らかに斑の知るそれよりも都合のいい方へ傾いている。前者はきちんと受身を取ればほとんどダメージは受けないし、筋力は以前よりも明らかに増強されていた。おかしい、と思うものの、これらは特に困る点もないので放置することにする。

 ずっしりとした重みの両手剣を振り回して、やはり両手で振らないと流石に振り回されるな、とつい歯を食いしばる。直後、力を入れ過ぎだ、という晴和の忠告が飛んだ。稽古をつけたことがないと言いながら、直すべき点はすぐにわかるらしい。

「ぐっ……休憩!休憩を希望します!」

「うん、もう昼だし、それがいいか」

 ぜえはあ、と肩で息をする。武器を選んで、モンド城を出て、すぐに稽古。これを午前中ほぼ通しで行えば流石の斑も体力が尽きる。疲れた、と座り込めば、まだ余裕そうな晴和を見上げる形になった。

 濃い灰色の目と、薄い灰色の髪。風に遊ぶ触角がその中性的な印象をより際立たせている。童顔な顔立ちではあるが、すとんと表情の抜け落ちたように見えるせいで、どこかとっつきにくい印象も与えていた。雨風をしのぐためのマントと、少々暑苦しそうにも見える濃い藍色のコート。申し訳程度の防具にはいくらか傷がついていた。出で立ちこそ西洋風であるものの、振るっていたあの武器や名前の響きを考えると、彼の出身である稲妻という国は、斑の知るところの日本に近い文化を形成しているのかもしれない。

 とはいえ、現在稲妻は鎖国中らしいから、よっぽどのことがない限りは行くことは叶わないだろうが。まるで江戸時代の日本である。ああ、この点もいかにも日本国らしい。

 ごそごそと晴和が昼食のための準備を整え始める。いくつかの獣肉と野菜、それから鍋を取り出す。野営には慣れているらしく、手際よく火をおこして昼食の準備を整えていった。その動作は一人で完結している。誰かが手伝うことを前提としない、あるいは手伝わせるのを躊躇うような、そういう動作だ。

 ああ、何となく知っているなあ、と斑は同族嫌悪に近い感情を抱く。それをおくびにも表に出すことはせずに、大人しく待とうと荒れた息を整えた。

「ろくなものじゃないが、まあステーキがあればいいだろう」

「うーん雑だなあ。ちょっと前から分かってきたけど、晴和さん結構ものぐさじゃない?」

「そうか?……そうかもしれない」

 よくわからない、と晴和は口にする。灰色の目は薄く寂しさを浮かべていた。

 本当に。

 よく見知った感情だ。

 肉の焼ける音が真昼の草原に響く。じゅうじゅうという音と共に、肉のいい匂いが鼻孔をくすぐる。ずっと動きっぱなしだったためだろう、胃は空腹を強烈に訴えていた。

 よし、と小さな声が落ちて、出来上がりだと木製の皿に肉とキャベツが載せられた。

「キャベツはちゃんと洗ってあるから大丈夫だ」

「水元素も便利だなあ」

 火と水は生活に欠かせないものであるわけだし、どちらか片方を自在に操れるとなると相当便利なのだろう。神の目、というネーミングが非常に気に食わなくもないが、あったら便利だとは思う。

 ただ、そんな得体のしれないものを積極的に欲しいとは思わないのもまた事実。その人間の渇望、あるいは願望が極限まで輝いた時、神の視線が注がれ形になったものが神の目である、というのは分かった。子供の絵本にすら描かれる内容だ、いやでもわかる。

(『神』、ねえ……そんなにいいものかなあ、『神の目』って?何か、この場所の人すら知らないような、うすら寒いものがあるような気もするんだよなあ……)

 晴和の腰に固定された水の目を見る。淡い光を持った目が確かにそこに鎮座している。

「食べ終わったら続きだな。夕方にヒルチャールのところに行こう」

「流れが早すぎるんだよなあ!」

 どうして初日で実践まで持ち込むのか理解に苦しむ、と抗議すれば、大丈夫だと思うけど、の一言で一蹴されてしまった。どうかと思う、と文句は続行したものの、どうやら彼の中では確定事項になってしまっているようだった。

「大丈夫だよ。意外とあれもそんなに強くはない」

「ええ……」

 まだ体力も回復しきっていない中連れてこられたのは、街道から外れたところに陣取っている三体のヒルチャールのところだった。見たところ弓矢を持っているものはなく、棍棒を持ったよく見かけるヒルチャール二体と、全体的に赤いヒルチャール一体がいる。

「よし、さくっと叩きのめしてくるといい。万が一の時は俺が片付ける」

「簡単に言うなあ。ずっと一対一でやりあってたから若干の不安はあるが――よおし、案ずるより産むがやすし!行くぞお!」

 こうなればやけくそである。武器を握るのは直前で構わないのは助かるな、と徐々にこの環境に適応し始めている自分には目をつぶって、怪物たちの元へ加速する。

 一気に距離を詰めたからか、それなりの距離があっても気付かれた。ぎゃあ、ぎゃあ、と耳障りな声を聴きながら大剣の柄を握る。棍棒をやみくもに振り回しながら突進してくる二体を視認して、すぐ後ろで赤いヒルチャールが棍棒に着火しているのが見えた。

 あれから片づけた方がいいな、と剣を一度仕舞って、突進してくるヒルチャールの攻撃をすり抜けるようにして交わす。そのままダッシュを継続して、大剣を握り、思いっきり左から右へ振り抜いた。

 ぎりぎり着火する前に刃が届いたらしい、ぎゃあっ、という悲鳴を拾った時には赤いヒルチャールの身体は空を舞っていた。そのまま地面に落ち、ぴくりとも動かなくなる。

 次、と後ろから迫る気配に、左足を軸に右足で地面を思いっきり蹴る。ぐるりと身体を反転させ、すぐ後ろにまで迫ったヒルチャールたちを慣性の法則に任せて大剣で薙ぎ払った。

 ふっ、と息を吐き出す。吹き飛んだ身体が接地すると同時に、片方の身体にもう一度剣を滑らせた。先二回の斬撃もそうだが、明確に「切った」感覚が手に伝わって、自然と顔から表情が失せていく。

 こちらは致命傷になりきらなかったらしい、よろよろと起き上がった最後の一体との距離を詰めるべく、利き足で地面を蹴りだした。距離を詰めたらもうおしまい。三度行った行動を身体はしっかりと学習していたらしい。特にためらいも感慨もなく、怪物は大剣に裂かれて絶命した。

 は、と小さく息を吐いて、周囲の安全を確認する。視認出来る限りでは怪物の姿は見当たらない。肌がひりつくような殺気も感じない。だからもう大丈夫。そのはずだ。

 ぎちりと右手が嫌な音を立てている。はは、と思わず苦笑が漏れた。恐怖からか、あるいはまた別の感情からか。これ以上ないほどにきつく剣の柄を握った右手は力を入れ過ぎてうっすらと白くなってしまっていた。

「おつかれ」

「あっ、晴和さん!ふふん、見てたかあ、俺の初陣!」

「ああ、流石だな。筋がいいとは思っていたが、流石に三体はきついと思ってた」

「最後!そういうの良くないと思います!今回はうまく行ったから許すけど、正直信頼を失うからやめた方がいいと思うぞお!」

「そ、そうか……」

 無自覚だったらしい。結構本気でしょんぼりしている青年に笑いがこみあげてきて、ついつい耐え切れずに吹き出してしまう。晴和は驚いたように斑の方を見たが、それから柔らかな笑みを浮かべていた。安心した、とでもいうような顔に、むずがゆくなって、ごまかすように武器を仕舞う。

「最後の警戒まで含めて完璧だ。なんだ、結構いけるじゃないか」

「あはは……実際、怪物と戦ったことなんてないし、失敗しても大丈夫っていう安心感の有無は大きいとは思うけどなあ」

「それでも余裕の勝利だったのは事実だ」

 彼の腰で水の目が淡く光を灯している。でも褒められるのはうれしいので素直に受け取ります、と芝居がかった調子で言ってみれば、是非ともそうしてくれ、とどこか感慨深そうな声が草原に落ちた。

 大剣はすでに手の中にはない。右手には柄の跡がくっきりと残っている。ふと、晴和の視線が一瞬下に泳いだことに気が付いて、ただ鈍いだけの人ではないことに気が付いた。

「お、いたいた。なんだ、順調そうじゃないか」

「ガイア?またさぼってるのか」

「おいおい、酷い言われようだな。これでも真面目に仕事してるつもりなんだぜ」

 やれやれ、と肩をすくめながら姿を現した男に警戒心がむくりと膨れ上がった。深い青の髪と、目立つ褐色の肌。右目は眼帯で覆われているものの、その立ち振る舞いに隙は見当たらない。

 飄々とした様子の男はどことなく不信感を抱かせる。いや、と内心で首を振って、たぶん違うなあ、と落ち着かせるように息を吐いた。どくどくと心臓が音を立てて脈打っている。先ほどの戦闘は疲れも倍溜めさせていたらしい。

「よお、はじめましてだな」

「そうなるかなあ。で、どこのどちら様?こっちから名乗ったほうがいいなら、名乗るけど」

「ははっ……そう警戒するなって。俺はガイア。西風騎士団の騎兵隊長だ。もっとも、騎士団の騎兵隊員はみんな団長が連れてっちまったがな」

 そういって苦笑を浮かべたガイアを見て、それから晴和の方に視線を向けた。大丈夫だ、と言うように小さくうなずいたのを見て、はあ、と息をついた。

「俺は斑という。つい最近冒険者になったものだ。どうぞよろしくお願いします!」

 人好きする笑顔に人好きしそうな笑顔を返される。冷たい色の目がじい、とこちらを観察するように覗いているようで、気分が悪かった。

秋水堂もの置き小屋

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